言葉は、意味よりも響きなのかもしれない
お読みいただき、ありがとうございます。
近頃、言葉は意味よりも先に、
響きとして届いているように感じています。
カタカムナや自然の法則を学び、
これまでの経験を振り返るなかで、
そんな感覚が少しずつ育ってきました。
最近、新しく始めた習慣があります。
それは、詩を声に出して読むことです。
本棚に長い間眠っていた
『声で楽しむ 美しい日本の詩』を開き、
一篇ずつゆっくり朗読しています。
10代の頃、本をほとんど読みませんでした。
ところが20歳頃、突然、
文字を猛烈に欲するようになります。
ただ文章を読みたい。
その一方で、
「本を読めば成功できる。」
「本を読めば、自分の価値も上がる。」
そんな思いもありました。
20代は、いつも三冊以上の本を持ち歩き、文学、旅、
デザイン、健康、自己啓発、自然のことまで、思いつく限り読んでいました。
30歳頃、詩人であり舞台演出家でもある方のお宅で暮らしていたことがあります。
その方から、こんなことを言われました。
「あなたは読んだことが身についていない。
知識を溜め込んでいるだけだ。」
その言葉をきっかけに、本をむやみに読むことから離れました。
代わりに、体を動かし、手を動かし、実際に作業をする時間が増えていきました。
今振り返ると、
私は言葉を「理解するもの」としてばかり受け取っていたように思います。
知識が増えること。
理論がわかること。
そんなことに夢中になっていました。
その後、自然の法則と出会いました。
人生が行き詰まり、身動きが取れないように感じていた頃です。
感情を押さえ込むのではなく、
ちゃんと感じること。
アタマよりも心を先にすること。
最近では、
「ああ、アタマが怖がっているんだな。」
そう気づけることが増えました。
そして、
「そうか、わかってほしかったんだね。」
そう声をかけるようになってきました。
そんな変化とともに、言葉との向き合い方も変わりました。
意味を追いかけるより、
響きを味わう。
リズムを感じる。
言葉から立ち上がる景色や感情を受け取る。
そんな触れ方へ変わってきています。
カタカムナでは、
一音一音の響きに深い意味があります。
「ヒ」
「フ」
「ミ」
その音そのものに、意味と動きがある。
言葉は、意味よりも先に、身体へ届いているのでしょう。
昔から、和歌には不思議な力があると言われてきました。
音楽もそうです。
歌詞の意味がわからなくても、
景色が浮かび、
心が動きます。
私たちは、言葉の響きを受け取っています。
もっと心が動く言葉に触れたい。
そんな思いから、詩を読むようになりました。
詩人たちの言葉は、音楽のようです。
その響きに触れていると、自分の中にも歌心が育っていくような気がします。
言葉が響く。
心が動く。
すると、不思議と世界も動き始める。
そんな力が、言葉にはある。
私は今、そう感じています。
